愛媛県松山市 カルティエ(カルチェ)の買取 人気ラインのご紹介

目次

☑カルティエとは

☑カルティエの歴史

☑カルティエの人気ライン

☑カルティエを高く売るには

 

時計の買取りをはじめ、貴金属、ブランド品、金券、骨董などを買取する

愛媛県松山市にある買取専門店「ゴールドジャパン」です。

 

 

今回はフランスを代表するブランド『Cartier(カルティエ)』についてのご説明をいたします。

 

Cartier(カルティエ)とは

Cartier(カルティエ)はフランスのラグジュアリーブランドです。

ジュエリー、腕時計、革製品、文房具など多岐にわたって展開しています。

カルティエは、ハリーウィンストン、ティファニー、ブルガリ、ヴァンクリーフ&アーペルと並んで「世界5大ジュエラー」と呼ばれています。

170年以上もの歴史があり、世界中の王室を魅了し、そして世の女性たちからの憧れの的であり続けました。

 

ではそんなカルティエがどのようにしてトップの座にのぼりつめたのか、歴史を辿ってみましょう。

 

Cartier(カルティエ)の歴史

<天賦の才>

1847年、宝石細工師のルイ=フランソワ・カルティエが師のアドルフ・ピカールからパリのモントルグイユ通り29番地のジュエリー工房を受け継いだのが始まりでした。

当時若干28歳という若さでした。

1853年にはヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地、フランス国王の弟の家系にあたる名門オルレアン公の館から近い場所に、個人顧客を対象としたジュエリーブティックを開業します。

この場所に決めたのは、名門一族の館の近くであるがために、社交の場としてよく用いられ、着飾った貴婦人がよく往来していたからという理由でした。

1859年には、パリの大通りのオペラ座付近に移転しました。

 

さらに皇妃ユゥジェニーがカルティエにオーダーしたことによって宮廷御用達になりました。

 

ルイ=フランソワは、宝飾品のデザイナーであり、また職人としての技術も持ち溢れた才能あふれる人材でした。そしてさらに、ビジネスマンとしての天賦の才も持っていたのです。

カルティエの物つくりはたちまち貴族や王族などから評価され、フランスだけではなく、ヨーロッパ全土にその名をとどろかせ、ブランドは華やかに繁栄していきました。

イギリス国王エドワード7世が残した「宝石商の王」という言葉が当時の繁栄ぶりを物語っています。

 

<受け継がれる才能>

その後、1872年、ルイ=フランソワの息子、アルフレッド・カルティエが事業を受け継ぎます。

さらにその息子は、ルイ、ピエール、ジャックというとても優秀な3兄弟だったのです。

1898年に経営をまかされたルイ・カルティエが、3代目としてカルティエの骨格を作っていく人物になります。

 

<ルイ・カルティエ>

ルイは、1898年から父と共に経営に関わるようになりました。

翌年1899年に、パリのル・ラペ通りにアトリエを移転し、パリを拠点として影響力を広め、世界中の人をどんどん魅了していきました。

そして国際色豊かなカルティエは世界的名声を確立していったのです。

 

彼は芸術的に深い造詣を持ち、歴史的な装飾の資料を読み漁り、その中からインスピレーションを得て、カルティエのアイコンにもなっているガーランド・スタイルを完成させました。

そして、世界的なジュエラーとして名を響かせ、1939年までに15か国から王室御用達の特許状を受けるまでに至っています。

 

<ピエール・カルティエ>

1909年、ニューヨークに支店を作り、次男のピエールが指揮をとりました。

当時のアメリカはヨーロッパの伝統様式に憧れるという傾向があり、カルティエの繊細な宝飾品はまさにフランスの伝統をまざまざ映す鏡のようだと感じたアメリカ人から絶大な評価を得ました。

そうしてカルティエはニューヨークでも名を轟かせていきました。

 

<ジャック・カルティエ>

1902年ではロンドンに支店を作り、そこには3男のジャックが指揮を任されました。

彼は裕福な実業家だけでなく、インドとの関係も深めていきました。

インドの藩主マハラジャたちは、もともと豪華な宝飾品を身に着けていましたが、ジャックが紹介したプラチナの美しいカルティエの宝石に魅了されました。

マハラジャは所有していた数多くの宝石をカルティエに託し、カルティエはそれらを最高に美しいパリュールに仕立て上げました。

こうしてインドとの親密な関係を築いたカルティエの事業はさらに大きなものになっていきます。

 

<カルティエ初の男性用腕時計>

1904年、当時携帯用時計と言えば懐中時計が一般的だった時代、ルイ・カルティエによって、カルティエ初の男性用腕時計が発表されました。

きっかけは、ルイの友人であったブラジルの飛行家のアルベルト・サントス=デュモンの「飛行機の操縦中に手を離さずに時間が見たい」という依頼によるものからでした。

そして1911年に、現在でも有名な「サントス」が一般販売されます。

このサントスが実用的な男性腕時計の第一号とされています。

 

<新たなトレンドへ>

1900年代初頭、ヨーロッパでは「アールヌーヴォー・スタイル」が流行していました。

「アールヌーヴォー・スタイル」とは、花や動物をモチーフに金属やガラスを用いてデザインするというものです。

当時の人々は芸術性のある高価な物を求めており、「アールヌーヴォー・スタイル」でヨーロッパは彩られていました。

しかし、そのアールヌーヴォーからいち早く脱却したのがルイ・カルティエでした。

 

カルティエはそれまでの曲線的でエレガントなアールヌーヴォーとは異なり、直線的で近代的な腕時計「タンク」を発表しました。

ベゼルを持たず、ケースとラグが一体化した直線を強調したデザインが特徴で、このデザインは、第一次世界大戦を終戦に導いた「平和の象徴」であるルノーFT-17軽戦車がモチーフになっています。

やがてそれはトレンドになり、カルティエは「アールデコ・スタイル」の先駆者となったのです。

 

現代的な腕時計の原型を作ったのがサントスであるとすれば、これに真の実用性を与えたのがタンクです。

カルティエはその後も、フランスで「浴槽」を意味するカルティエの中でも最も格調の高いモデル「ベニュワール」、耐久面にも優れたグリッドとリューズプロテクターを備え、独特のラウンドケースが、今もなお魅了し続ける定番モデルの「パシャ」など数々の有名な腕時計を発表していきました。

 

さらに1912年には、世界初のバケットカットのダイアモンドを発表します。

レーニエ三世からモナコ公国の公妃であったグレース・ケリーに贈られたエンゲージリングがバケットカットのタイヤでした。

 

<ルイ・カルティエの死>

順風満帆なカルティエでしたが、1942年、カルティエを発展させてきたルイ・カルティエがこの世を去りました。

カルティエの一つの時代が終わった瞬間でした。

同じ年に3男のジャックも相次いで亡くなっています。

 

<転換期へ>

1960年代、カルティエに転換期が訪れます。

1964年に次男ピエールがこの世を去り、100年以上に渡って続いていた血族経営に終止符が打たれたのです。

 

新しい経営陣は、今までのカルティエの誇りとイメージを崩すことなく、いかにしてカルティエの素晴らしさを幅広い層にアピールできるかを模索しました。

その結果、1973年に新しいライン「レ・マスト・ドゥ・カルティエ」を発表し、大成功を収めたのです。

 

<受け継がれる伝統>

その後も、1985年に「パシャ・ドゥ・カルティエ」、1989年に「タンク・アメリカ」が発表され、さらに1998年にはカルティエが生み出した歴史的名作をモチーフにして最上級の技術で作り上げた高級ウォッチコレクション「コレクション・プリヴェ・カルティエ・パリ」が誕生しました。

 

1993年、リシュモンの前身であるヴァンドーム・グループに参加します。

 

1996年には、時計のニューコレクション「タンク・フランセーズ」、記念すべき創業150年の1997年には、側面にメッセージを刻印できるブレスレット「アニーバーサリー」を発表しました。

 

これまでのカルティエの旺盛な創作活動は継続されていったのです。

 

伝統を継承しつつも、確固たる地位に驕ることなく、革新的なデザインを生み出し続けるカルティエは、今もなお世界中の人を魅了し続けています。

カルティエのこれからの展開に目が離せません。

 

Cartier(カルティエ)の人気ライン

それでは次は、カルティエの人気定番ラインの時計とジュエリーを2つずつご紹介します。

 

<パシャ>

「パシャ」は1930年代にモロッコの太守(高官のこと)、エル・ジャヴィ公からの防水性の高い時計を要望されたことがきっかけでした。

「パシャ」というのは太守のことを意味します。

カルティエのほとんどの時計はインデックスがローマ数字ですが、パシャにはアラビア数字を採用しています。

ケースには2脚のラグが12時方向と6時方向に伸びており、これをブレスレットやストラップで挟んで固定する独特な構造で、カルティエの中でも独創的なラインです。

 

<ロードスター>

「ロードスター」はスポーツカーを思い起こさせる流線型のフォルムにヘッドライトをイメージしたデイト表示の拡大レンズが特徴のデザインです。

微妙にラウンドしたケースは手首にぴったり収まり、ドライビング時にも違和感を感じさせません。

 

<LOVEリング>

LOVEコレクションには既成概念を超えた愛を封じ込めるビスモチーフをデザインしています。

どこを見ても美しいその外見には、時を経ても色あせない「情熱的な愛の象徴」が表現されています。

リングは全部で44種類あり、ホワイトゴールド、イエローゴールド、ピンクゴールドをベースにビスやダイアモンドでデザインされています。

LOVEコレクションはリングの他にもブレスレット、ネックレス、イヤリングの4つのカテゴリーで展開されています。

 

<パンテール ドゥ カルティエ リング>

「パンテール」はフランス語で「豹」意味します。

美しい曲線で指に巻き付くような形で、エメラルドグリーンの瞳、黒く輝くオニキスの鼻、肢体にはダイアモンドがちりばめられています。

リングは全部で29種類あり、ホワイトゴールド、イエローゴールド、ピンクゴールドの差種類をベースにしています。

 

Cartier(カルティエ)を高く売るには

先日、ご来店されたお客様はカルティエのボルドーカラーが美しいマストラインのクラッチバッグをお持ちくださりました。

昔ご購入されてずっとご愛用されていたそうですが、「気に入ってたんだけど最近はクラッチバッグはなかなか使わないから・・・」とのことでした。

思い入れのあるものとのことなので、しっかりと査定させていただき、お売りいただきました。

 

大切に使ってきたものですから、売るときもできるだけ高く売りたいですよね。

少しでも買取額をUPさせるためのコツをご紹介しますので、ぜひ試してみてください!

 

ご来店前にチャックの淵やバッグの底のホコリやごみを掃除したり、表面を柔らかい布で優しく拭いてあげましょう。

また、ニオイも重要です。バッグの中に防臭・防カビ剤などを入れて、風通しの良い場所に一日干してニオイを取りましょう。その際、型崩れしないようご注意ください。

購入した際の保存袋や箱など付属品があれば是非一緒にお持ちください♪

 

またジュエリーの場合は、毎回使用後はどんなジュエリーでも必ず柔らかい布か専用クロスで汗や汚れを拭き取りましょう。

ただし「やりすぎ」には注意です。

擦ったキズが残ってしまうと、査定額に響きます。

 

皆様も、お家の中に昔使っていたバッグやお財布が眠っていませんか?

『ゴールドジャパン松山店』ではカルティエのアイテムを高価買取しています!

しっかりと査定、そして高価買取をさせていただきます。

是非ご相談ください。

お客様からのお電話・ご来店を心よりお待ちしております。